『医は仁術』とは、
「医療というものは、病気を治すためのものものではなく、人を思いやることが大切である」ということらしい。
じいばばの家の近くの個人病院の先生には
2人とも本当にお世話になっている。
先生はいつも穏やかに丁寧に診てくれるし、見たてもいい。
ばあばは、その先生が大きな病院の脳神経内科に紹介状を書いてくれたので、
そこに3ヶ月に1度受診している。
大病院だから時々が先生が代わる。
最初の先生は
まだまだ若くて元気でお肌もピチピチ。
老いるということがどういうことなのか?
身体が思うようにならない人の気持ちが
本当に分からないんだろうな、
という感じだった。
次の先生も若くて、
診察はろくにばあばの顔も見ないで、
おかめにばかり様子を聞いてくる。
その方が手っ取り早いのだろう。
パソコンに打ち込むのに忙しくて、
患者を「診る」暇はないらしい( ≖_≖)
その上、本人を目の前にして「ボケ」だの「痴呆」だの「高齢だから仕方ない」
だのと平気で口にする┐(´д`)┌
この人は何故医師になったんだろう???と思わずにいられない配慮のなさ、
愛のなさに腹立たしくなった。
ばあばに限らず、どんなに身体が不自でも、いろんなことがよく分からなくなっても、何故か人の本質は見抜くことができる。
そういう先生のときには口数も少なく、
診察が終わって帰る時も
「アリガトウゴザイマシタ」
と声は大きいが気持ちのこもらない、
怒っているような、カチコチとひどく緊張した言い方をする。
ところが、
次に来た先生は今までの先生とはまるで違った(⊙ꇴ⊙)!!
若いのに·····だ!
仁術は年齢ではないらしい( ˘ω˘ )
とにかく、きちんとばあばの顔を見て
「どうですか〜(*ˊᵕˋ*)」
とにこやかに話をしてくれる。
丁寧に手首の動きをみたり、手を取って一緒に歩いてみたり、家での様子も本人の顔を見て聞いてくれる。
人の心をホッとさせる先生だ(*ˊᵕˋ*)ホッ
この病院でこんな先生ははじめてだ!
そうすると、ばあばもあのカチコチの緊張した話し方ではなく、穏やかに普通に自分から話をする。
やっぱり伝わるよなぁーー
実家の父も透析がうまくいかなくなったときに、まだ肌ツヤツヤの若造が
「もうやれることはありません。
透析できなくなったらおしまいですね。
長くはありません。」
みたいなことを本人を目の前にして
何のためらいもなく平気な顔で言った。
これには唖然とした( ꒪⌓︎꒪)
この人は医師である前に人としてどうなんだ??
なんで医者になった??
あまりの無神経さに悲しみと怒りでいっぱいになった。
結局、転院した病院で信頼できる先生が手術とできる限りの治療をしてくれた。
それから何年か透析を続けることもでき、孫たちの成長をみることができた。
本当にありがたかった。
『医は仁術』ならぬ、
医療の提供は金儲けである『医は算術』という医師もたくさんいる。
自分で病院も医師も選ばないと
長生きどころか反対に大金と一緒に命まで取られてしまいそうだ。
3人目の今の先生にずっと診て欲しい!
そしたら、ばあばもあのカチコチの話し方にならないで済む。
おまけにこの先生、
細身でスラリと背が高い、顔も小さくてかわいらしい(๑•ᴗ•๑)
その上笑顔で人柄もいいときたもんだ!
病院を受診して嬉しい気持ちになるなんて、そうそうあることじゃない。
最強の先生だ(´ ✪ω✪` )
今日もありがとうございます!
またねーーー(^_^)/~~~~
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